設立趣意書

「屋久島学ソサエティ」設立趣意書

1993年に屋久島がユネスコ世界自然遺産に登録されてから、20年になります。しかし世界遺産になる以前から、この美しく、国際的にも貴重な屋久島の自然と文化には、多くの人々が魅了されてきました。屋久島は島民の生活の場であると同時に、自然科学、人文社会科学を問わず、さまざまな分野の研究者や学生を引きつけてやまない学びの場であり続けています。
世界遺産に登録されるちょうど10年前、環境庁(当時)は「花山原生自然環境保全地域総合調査」を実施しました。屋久島には日本国内に5カ所しかない国指定の原生自然環境保全地域のひとつ、小楊子川流域の花山地区があります。このときは自然科学に限られましたが、花山地区だけに留まらず、初めて屋久島の総合的な調査が行なわれました。そのとき総合調査に参加した研究者と島の人々との交流のなかから、「屋久島オープンフィールドミュージアム構想」が生まれました。
このミュージアムは従来の「箱もの」に展示物が入っているというスタイルではなく、島の自然と人々の営みそのものを研究・保全・普及という博物館的活動を通じて、社会的にも経済的にも活用を図ろうという構想でした。これは島外からの観光客を対象としているのではありません。むしろ島に住む人々の生活基盤である屋久島の自然を適切に保全しつつ、持続的に活用していくために、屋久島の自然や文化の価値を掘り起こし、さまざまな立場の人々がその価値を共有して未来につなげようという考え方です。その後、世界遺産に登録されるまでにも、屋久島憲章の採択、ユネスコ「人間と生物圏MAB計画(ユネスコエコパーク)」への登録、「屋久島環境文化村」構想の立案、「屋久島フィールドワーク講座」の開催、あるいは屋久島地元NPOの活動など、自然と人間の共生をめざす、さまざまな取り組みがなされてきました。いや、これらの真摯な取り組みがあったからこそ、世界遺産になったといえるでしょう。
21世紀になって「環境ミレニアムの聖地」とまでいわれるようになった屋久島では、島の人々は屋久島に夢と誇りをもち、エコツーリズムや屋久島ブランド産業という新しい生業が興って人口減少にも歯止めがかかりました。一方で世界遺産地域の過剰利用や、野生鳥獣が引き起こす農林業被害や生態系被害などの問題も山積しています。屋久島に関わるすべての人々が知恵を結集しなければ解決しえない難問ばかりです。屋久島町に合併してから五年が経過し、いまこそ「屋久島オープンフィールドミュージアム構想」を屋久島の現在と未来のために、はっきりとしたかたちにする必要があるのではないでしょうか。
そこで、わたしたちはいま問題解決型・未来志向型の新しい知の創出のための学会「屋久島学ソサエティ」を設立したいと考えています。現世代の人々がこの屋久島の自然の恵みを十分に享受し、その恵みを次世代であるこどもたちに確実に伝えるための屋久島学ソサエティ、屋久島の住民と屋久島に縁あって関わっている研究者との双方向の交流の場としての屋久島学ソサエティ、島の高校生や中学生が自分たちの研究や発見を島外にも発表し、広くその価値を問う機会としての屋久島学ソサエティをみなさんと共に立ち上げたいと思う次第です。屋久島の「知のプラットフォーム」として、研究者は最新の研究成果をわかりやすく島の住民に伝え、また島の住民は島に住んでいないとわからない実情や実感を島外の研究者に伝えることでお互いに学びあうこと、細分化された学問分野と島の現実を横断的に結んで真の問題解決のために必要な知識を共有し、実践につなぐこと―そこに屋久島学ソサエティの果たすべき役割があります。
これまでの多くの学会は、研究者の成果発表と情報交換がおもな目的でした。この屋久島学ソサエティはそうではなく、屋久島の地域社会と研究者コミュニティーが恊働して新しい知を構築し、それを地域社会のために具体的に活かしていくことを目指します。多くの方がこの趣意書に賛同して、屋久島学会ソサエティ設立へ積極的に参画していただけることを願ってやみません。

2013年9月吉日         屋久島学ソサエティ設立発起人一同
朝比奈敏子 荒木耕治 荒田洋一 小原比呂志 鈴木英治 手塚賢至 根建心具 日下田紀三 矢原徹一 山極壽一 湯本貴和 吉田茂二郎